昨日の滋賀県議会での講演の後は、名古屋へ戻らず、大津で一泊。琵琶湖近くのホテルで宿泊しました。夜も朝も、景色は最高。やっぱり琵琶湖が見える景色はいいですね。
そして今日は、大河ドラマ「麒麟がくる」で話題の坂本城エリアを取材。まずは坂本城址公園からスタートです。
でも、その前に坂本城についての予備知識。「築城の名手」といえば、加藤清正、藤堂高虎がすぐに思い浮かびますが、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスによれば、明智光秀も「築城の名手」だったようです。フロイスは、光秀の城である坂本城について「信長の安土城に次ぐ名城」と書物に書いています。
坂本城は、1571年「比叡山の焼き討ち」後、信長の命により築城された城です。比叡山の動きを監視するため山のふもとに、そして琵琶湖を支配するため湖のほとりに、さらには信長の領地である美濃(現在の岐阜)と京都を結ぶ重要な場所に築かれたとされています。船を使えば安土城へ直行することもできたんですよね。坂本城がどれほど重要性がうかがえます。信長が自身の城である安土城よりも先に、坂本城に天守を築かせたというのも有名な話ですね。
話を戻して、まずは坂本城址公園です。実はここは城外なので、城の痕跡は特に見られません。みどころは、明智光秀像と琵琶湖かな。光秀像をいろんな角度から撮影した後は、坂本城址公園から少し北へ行ったところにある坂本城「本丸跡」まで移動します。
本丸跡は現在、企業の私有地のため、普段は立ち入ることはできないけど、2021年2月7日までの土日祝日(午前9時から午後5時)は、無料で解放されています。というわけで、もちろん、行ってきました!
本丸の石垣は琵琶湖の底に沈んでいますが、湖の水位が下がるタイミングであれば見られる可能性もあるんです。さぁ、今回は、どうでしょう?おぉ!「これかな?」と思われる石垣がありました!でも間違っていたらいけないと思って、城郭研究家のN先生に「この石は、坂本城の石垣で間違いないですか?」とメールを送って確認したら「これは、坂本城本丸の石垣で間違いないですよ。」と、返事をもらって一安心(笑)時期的に、見るのは難しいかな…と思っていたので、これは嬉しい!
つづいては、坂本城の本丸跡のすぐ近くある「明智塚」まで徒歩で移動します。ここは「坂本城が落城した際に、光秀の脇差を埋葬した」という伝承が残る場所です。私有地なんだけど、きれいに整備されていて、観光客がちゃんと見られるようにしてくれているのが、ありがたい。気をつけていないと通り過ぎてしまいそうな感じの場所なので、見逃さないでね。
明智塚から、さらに北へ行くと…坂本城から移築されたとされる城門が残る「聖衆来迎寺」があります。ただしこれは、光秀時代のものではなく、丹羽長秀が坂本城を再築した際の城門の可能性が高いとも言われますね。
聖衆来迎寺には、森蘭丸(乱丸)のお父さん、森可成のお墓も。このお墓があったから、ここは織田信長の「比叡山焼打ち」のときに燃やされずにすんだ…という話もあります。
つづいては、少し車で移動して西教寺へ。ここにも、明智光秀の城・坂本城からの移築門が残っています。大河ドラマ「麒麟がくる」の特別展も開催中。平日だったけど、かなり賑わっていました。西行寺には、明智光秀、光秀の妻・煕子(ひろこ)、明智光秀の一族の墓もあります
西行寺の本堂は1739年のもの。用材は紀州徳川家からの寄進だそうです。そして客殿は、なんと!豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿の移築。1598年(=関ケ原の戦いの2年前)に、大谷吉継のお母さんが寄進したものだそうです。おぉ!このエピソードだけで大興奮です。客殿の室内に描かれた狩野派の襖絵も、外からだけど見られるし、小堀遠州が作庭した庭も、素晴らしかった…。客殿が想像以上に素晴らしかったので、たっぷり時間をかけてまわりました。ここは、かなりおすすめ。
西教寺から、また少し移動すれば、石積みのプロフェッショナル「穴太衆」の出身地と言われる「坂本のまちなみ」もあるし、自然が美しい旧竹林亭庭園や日吉大社もあって、本当に見どころがたくさん。たっぷり1日楽しめます。今回は比叡山までは行けなかったから、次回は、ゆっくり行きたいなぁ。
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