どーもどーもどーも!戦国の歴史大好き外国人、クリス・グレンです。
8月に行った「長篠・設楽ヶ原の戦いの旅」やっと書きます!
まずはやっぱり「馬防柵」から。
こちらが「馬防柵」の再現。
信長の命令で、サムライたちは岐阜から設楽原まで木を一本ずつ
運んだらしいです。信長のリサーチ力、プランニング力はスゴい!
これが、2km続いていたらしい。
作り方が、ちょっと違うタイプの「馬防柵」。
約3000の鉄砲隊がいたと書かれています。
向こうに見える山に武田軍がいました。
SAMURAIたちは、こんな風に敵を見ていたんだろうね…
そして武田軍からは、こんな感じに。
「馬防柵」の後ろにSAMURAI、鉄砲隊がいたと
想像してみると…歴史が生きているように感じますね。
武田家の家臣、土屋昌次は、
ここで、織田軍に撃たれて戦死したと言われています。
でも、ここまで来ただけでもスゴいと思いますね!
こういうストーリーを考えながら見ると、感動します。
長篠・設楽ヶ原の戦いの旅…まだまだ、続きますよ~
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